六代目から最後まで所在を追われた正木年男組長の軌跡【若頭補佐から舎弟に、そして神戸山口組へ参画した3人の組長①】
六代目山口組が分裂した11年前の夏、神戸山口組へ旗揚げした組長の中に、六代目執行部で若頭補佐を経験した3人がいた。その中でも最後の最後まで六代目サイドから所在を追われ続けたのが、正木組・正木年男組長だ。神戸山口組のスポークスマンとしてメディア戦略を担っていた正木組長は、なぜ六代目サイドからこれほど反感を買うことになったのか。その軌跡と忽然と姿を消した真相に迫る。
UL編集部
2026.06.24
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神戸山口組時代に執り行われた盃ごとの現場。そうそうたる幹部たちの名前が連なる。
今から11年前の夏。六代目山口組が分裂した。そのとき、六代目山口組サイドは離脱した組長らに対して、すぐさま破門・絶縁といった処分を下している。ヤクザ社会において二度と渡世に戻ることのできない絶縁処分を受けたのは、現・神戸山口組・井上邦雄組長、神戸山口組では副組長となり、現在は独立組織として存続している二代目宅見組・入江禎組長、他3人であった。井上組長、宅見組長だけでなく、なぜ他3人の組長らは絶縁処分を受けたのか。
それは六代目山口組で執行部でもある最高幹部の経験者だったからだ。分裂当時、3人の組長らは、若頭補佐という執行部の一端を担ったあと、舎弟になおり執行部からは、外れていたのだった。それが神戸山口組に参画した一因であったのは、間違いないのではないだろうか。
そんな絶縁された3人の中でも、最後の最後まで六代目サイドから反発を買い、執拗に居場所を探し続けられたのが、正木組・正木年男組長であった。なぜ正木組長はこれほどまでに反感を買うことになったのだろうか。