筋を通した名親分・寺岡修の引退で決した、山口組分裂問題の行方【若頭補佐から舎弟に、そして神戸山口組へ参画した3人の組長③】

山口組分裂抗争において、最大の「終わりの始まり」はどこだったのか。六代目山口組の発足時から誰からも傑物と称され、筋を通すことで知られながらも、“謀反”の若頭として神戸山口組の舵取りを担った俠友会・寺岡修会長。徹底的な攻撃の果てに、自ら六代目側へ謝罪に赴き引退を選んだ名親分の足跡から、事実上の崩壊を迎えた神戸山口組のインサイドストーリーと、極道社会の「情と合理」を紐解く。
UL編集部 2026.07.02
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極道としての人望も厚かった寺岡修会長が六代目山口組を割って出た理由とは?

極道としての人望も厚かった寺岡修会長が六代目山口組を割って出た理由とは?

 六代目山口組発足時から、筋を通してはっきりと誰に対しても意見を述べることが出来る親分と言われていたのが、俠友会(解散)の寺岡修会長(引退)だろう。

 寺岡会長は健康不良を理由に自ら六代目山口組若頭補佐を辞任し、舎弟に直っていたと言われていた。そのため、六代目山口組から袂を分かった神戸山口組の発足時、若頭の地位に寺岡会長が座っていたことに驚いた関係者も少なくないだろう。

 そこには筋を通してきたことで知られた寺岡会長の並々ならぬ覚悟を垣間見ることもできる。

 なぜ、筋を通すことで知られて、人物しても高い評価を受けていた寺岡会長が、謀反と言える神戸山口組に参画したのか。それは舎弟に直り、大阪北ブロックのブロック長から、阪神ブロックに加入することになったことも少なからず影響していたのではないか。当時、阪神ブロックのブロック長だったのは、のちの神戸山口組の井上邦雄組長であった。

 阪神ブロック所属の他の組長から「淡路の叔父貴」と呼ばれ、相談ごとなどを受けている内に、井上組長に対して同情のようなものが生まれてしまったのかもしれない。

 たらればを述べるのは詮無いことだ。しかしもしも舎弟に直り、阪神ブロックに参画していなけれな、寺岡会長のヤクザ人生は、また違ったものになっていたのではないだろうか。

 ただ神戸山口組を離脱した際も、寺岡会長は六代目山口組サイドまで出向き、謝罪を申し入れた数少ない親分だった。

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