「あと10年は戦える」ヴェルサーチを愛用した池田孝志組長の財力とプライドが示したもの【若頭補佐から舎弟に、そして神戸山口組へ参画した3人の組長②】

神戸山口組がまだ定例会を開催させていた頃の様子。事務所前には多くのマスコミが駆けつけていた。
六代目山口組がまだ分裂する以前のある時の定例会の席上。その日の午前中、一部の最高幹部らは初代山口組・山口春吉組長、二代目・山口登組長の墓参へと訪れていた。
多くの報道陣や捜査関係者が詰めかける中、姿を見せた最高幹部は、当時総本部長の職にあった二代目宅見組・入江禎組長や、当時は若頭補佐を務めていた後の神戸山口組組長・井上邦雄組長、その他数名の直参組長らであった。
詰めかける報道陣が入江組長にシャッターを切った時だった。 「ワシらじゃなくて、これからの人らを撮ったって」 と入江組長は冗談混じりに応えて見せた。なぜ入江組長は、そうした発言を口にしたのか。それはその日の定例会で人事が大きく動くと言われていたからだ。
そして迎えた定例会。「これからの人らを」と記者陣に話した入江組長は、総本部長から舎弟になおり、舎弟頭に就任。後任には総本部長ではなく、本部長として、初代大原組・大原宏延組長が若頭補佐から昇格。それまで若頭補佐として執行部の一員だった池田組・池田孝志組長が執行部から外れ、舎弟へ。
新しく役職が変わった組長らが直参組長全員の前で挨拶したのだが、入江組長、大原組長と順番に一言挨拶を述べる中で、ただ1人、やる気のないような小声で早口にボソボソと挨拶したのが、池田組長であった。その声からも池田組長が若頭補佐から執行部を外れ、舎弟になおったことに納得がいっていない様子を周囲は敏感に察知したという。