【述懐】山口組分裂問題でマシンガンの凶弾に倒れた神戸山口組系組長の肖像
名門組織を継承しながらも、非業の死を遂げた二代目組長。山口組分裂という激動の渦中で、なぜ彼はマシンガンの凶弾に倒れなければならなかったのか。「武田信玄」と称された偉大な父の影、周囲から「どこか憎めない」と評された独特のキャラクター、そして時代の波に翻弄された組織の変遷――。関係者の証言から、看板を背負う重圧とヤクザ社会の残酷な実態を浮き彫りにし、凶弾に倒れた男の知られざる人間像の深淵に迫る。
UL編集部
2026.05.15
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在りし日の古川恵一組長とその葬儀
ヤクザ社会は世襲を嫌うと言われているが、実際、父親が率いた組織の跡目を実子が継ぐケースは少なくない。
三代目山口組時代、初代大平組から直参へと昇格を果たし、五代目体制では執行部である若頭補佐を務め、六代目体制になると舎弟となった初代古川組・古川雅章組長。その跡目に座ったのも実子である古川恵一組長であった。その後、2019年に兵庫県尼崎市内で六代目山口組系元組員にマシンガンで射殺されることになる組長である。
古川二代目組長の渡世入りは遅く、30歳を過ぎてからと言われているようだが、その評判は二代目組長に就任する以前から、決して良いものではなかったという。
暴排条例が施行され、ヤクザ社会は法によって雁字搦めにされたと言われたこの時代に、マシンガンで射殺された古川二代目組長。よほどの怨みを買ってしまっていたのか。その知られざる姿から浮かび上がる人間像。それは一般社会から見ても、偉大すぎた父親の七光と呼ばれるに相応しかったのかもしれない。その甘すぎた気質が、非業の死を招いてしまったのだろうか。