【歴史をひもとく】武士の生き方を貫いた伝説の親分―五代目山口組・渡辺組長が最も信頼した「男の背中」とは?

現在は使用が禁じられている山口組総本部
業界関係者の間で、ある噂が広まっているという。
近い将来、六代目山口組は特定抗争指定が解除され、神戸市灘区にある山口組総本部が使用できるようになるのではないかという噂だ。
実際、六代目山口組は2025年4月に抗争終結宣言を兵庫県警に提出してから、一度も抗争事件を起こしていない。確かに当局が六代目山口組の抗争相手として認定している神戸山口組、池田組、絆會は今も存続している。
だが、それぞれの対立関係の解消が特定抗争指定を解除する争点になるわけではない。実際に抗争が起きているかいないかが争点となってくるのだ。
例えば、工藤會のトップであった野村悟元総裁は、面会などの状況からも、ヤクザ社会から引退したことが事実であると判断され、官報からもその名が消え、自宅に貼られていた使用制限の貼り紙も剥がされることになった。
要するに法の解釈として、実態が伴うか否かということが重要になってくるのだ。
それを考えれば、特定抗争指定の更新を順次、取りやめていったとしてもおかしくはない状況を迎えつつあるのかもしれない。
そんな山口組の抗争の歴史の中でも、最初に思い出されるのは、1984年から1989年まで起きたヤクザ抗争史上、最も過激な抗争事件として語り継がれている山口組と一和会による抗争事件(山一抗争)となるだろう。
この抗争は、一和会の山本広会長が山口組総本部へ謝罪に訪れたことで幕を下ろした。その裏には、関係者にしか知られていないエピソードが存在する。詰めかける報道陣や警戒にあたる捜査員に大勢囲まれる中、万が一に備えて懐に拳銃をしのばせていた組長がいたのだ。
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