あれから11年…なぜ井上邦雄組長は山口組分裂のキーマンとなり、そして孤立したのか

神戸山口組・井上邦雄組長
たらればを論じるのは、いつの世も詮無いことである。しかしあえて論じるならば、もしも六代目山口組が分裂していなければ、今も変わることなく山口組の聖地である山口組総本部に組員たちが集まり、活気に満ちていたことは間違いないだろう。 当然ながら、特定抗争指定暴力団に指定されることもなかったはずだ。
7月23日、三代目山口組・田岡一雄組長の命日に、六代目山口組の司忍組長が墓参に訪れた。田岡三代目組長と言えば、山口組中興の祖であり、山口組を日本最大の組織に発展させた組長である。 その伝統は四代目・竹中正久組長、五代目・渡辺芳則組長、そして当代である司忍組長へと受け継がれ、現在に至っている。
各メディアが六代目山口組の動向に注目を集めたのは11年前の夏。奇しくも初代宅見組・宅見勝組長が生前、「10年に一度、大きな抗争があった方がよい」と口にしたとされる六代目体制発足から10年目の出来事であった。 今、冷静に振り返れば、六代目山口組を離脱し神戸山口組を結成した組長たちに、壮絶な抗争を起こしてまで六代目山口組と対峙しようとする意志などはなかったのではないだろうか。
あくまで抗争事件を起こさずに六代目山口組から離脱し、思い思いに上層部の顔色をうかがうことなく、配下組員たちを従わせたかっただけなのかもしれない。
「渡り合える」という錯覚と勝敗のゆくえ
そして世情の判官贔屓も相まって、結成された神戸山口組は、一時は六代目山口組と渡り合えるだけの勢いがあったかのように、確かに見えた側面があった。しかし、それこそが錯覚だったのではないだろうか。
神戸山口組の存続自体を認めない六代目山口組。六代目山口組から処分されても、抗争事件を必要最低限に回避させ、組織の存続を認めさせようと考えた神戸山口組。
11年前の夏、その時点――つまり神戸山口組が結成されたときから、すでに勝敗は決していたのかもしれない。
神戸山口組の結成について、さまざまな首謀者説が囁かれてきた。しかし現状を見ても分かるように、神戸山口組・井上邦雄組長がいなければ、そして巨大勢力の山健組を井上邦雄組長が率いていなければ、六代目山口組の分裂は起きていなかったのではないだろうか。