《神戸山口組・若頭補佐が出所》将来を嘱望された二代目英組長の背後で起こった“分裂問題”と“3億円事件”という暗闘

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神戸山口組が久しぶりの動きを見せた。それは7月22日のこと。神戸山口組で若頭補佐を務める二代目英組・藤田恭道組長が府中刑務所より社会復帰を果たしたのだ。
すでにSNSで拡散されているが、翌日には藤田組長の激励会が開かれ、その席に神戸山口組・井上邦雄組長も出席している。 そのほかにも20名近くの直参組長が集まったと業界内に広まり、神戸山口組の動向がこうして話題になったのは久々のことだったと言えるだろう。
そして同時に「まだ神戸山口組にはそれだけの組員がいたのか」と関係者らの間には驚きの声が上がっていたという。
しかし今後、藤田組長の出所により、神戸山口組が活性化するかと言えば、そうとは言えないだろう。
直参だけで20名近くの組員が集まったといえども、六代目山口組のような大組織の規模とは実際、勢力的に比較にならない。 仮に六代目山口組の最高幹部が帰還したともなればもっと大きな話題になるであろうし、組織としても活性化するだろう。 例えば、髙山清司相談役が若頭時代、府中刑務所から出所した際、ただ1人社会へと復帰しただけで、神戸山口組に対する猛攻は激しさを増した。そして神戸山口組に参画していた直参の組長たちが神戸山口組を後にすることになった。それが六代目山口組で若頭を務めた髙山相談役の影響力であり、存在感であった。
藤田組長は井上邦雄組長の側近とも見られている人物だ。井上組長にとっては1人でも神戸山口組に帰ってきてくれることは嬉しいことだろう。しかし、それが神戸山口組全体に影響を及ぼすことに繋がるかと言えば、そうとは言えないのではないだろうか。
二代目英組の組長を務める藤田組長を如何なる人物かと評する時、悲運という文字が浮かび上がるのかもしれない。その悲運が後に英組を2つに割ることとなり、迷宮入りした事件を生み出すトリガーになってしまったのではないか。