報復なき「暗殺事件」、麻酔をかけ切断された「小指」、出所後に放たれた「最後の銃弾」の深層【伝説のヤクザ・亀谷容疑者の軌跡③】

9月30日、亀谷容疑者が起こした発砲事件現場に集まった報道陣
9月30日に神戸市うちの2カ所で発砲事件を起こした亀谷直人容疑者。同容疑者がもともと在籍していた二代目佐藤組は、六代目山口組体制で細見孝夫組長が除籍されることによって、その名称は途絶えている。
残った二代目佐藤組の勢力は、若頭だった横山氏が引き継ぎ、「藤心連合」として兵庫県尼崎市に本拠地のあった六代目山口組系細川組(現在は解散)へと加入することになった。
除籍された細見組長はその後、ある事件に巻き込まれ、逮捕されることになった。
こうした経緯によって、二代目佐藤組の名称は山口組の中から途絶えたのだが、まさか時を経て、二代目佐藤組の名がこれだけ話題になるとは、誰も予想することができなかったのではないだろうか。
前回までの記事でお伝えしてきた通り、亀谷容疑者は2002年11月、JR東京駅八重洲口近くの八重洲富士屋ホテル前の路上で発砲事件を起こし、三代目山健組俠友会・鶴城丈二会長ら二人を殺傷し、逮捕・起訴されている。
当時、五代目山口組でこの亀谷裁判を担当したのは、俠友会・寺岡修会長と正木組・正木年男組長だったのだが、2人の組長が亀谷裁判が行われていた東京地方裁判所に傍聴に訪れた際、運転手を務めたのが、二代目佐藤組本部長で、東京を拠点に活動していた渡辺組を率いた猫組長であった。
後年、山口組分裂騒動の最中、そのことを鮮明に記憶していた正木組長は、猫組長と接触を図ろうと試みたが、それが叶うことはなかった。なぜならば、猫組長サイドが当時、分裂騒動の黒幕と噂された正木組長と会うことを断ったからだ。猫組長からすれば、ヤクザ社会から引退した身とはいえ、分裂の首謀者ともくされた人物と関わるつもりがなかったのではないだろうか。
それでは、八重洲富士屋ホテル前路上での発砲事件・別名「鶴亀事件」はなぜ起きたのか。
その真相について、五代目山口組は当時、寺岡会長と正木組長が東京拘置所の亀谷直人容疑者に面会し事情を聞きつつ、関係者ら周辺からも聞き込み調査を行うことになった。
そして三代目山健組は若頭の極心連合会・橋本弘文会長を中心とした三代目山健組執行部が真相解明へと乗り出している。
橋本会長と二代目佐藤組・細見孝夫組長の間には、接点があった。
そのため事件当時、橋本会長が細見組長に対して、「叔父貴、ワシが話をおさめるんで綺麗にしましょう」と伝えたと言われている。