工藤會「代替わり」、後藤靖会長誕生につながる裏社会事情

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北九州市小倉の街を長年、暴力で支配してきた組織が存在する。それが日本で唯一、特定危険指定暴力団に認定されている工藤會である。 工藤會では先頃、絶対的権力者であった五代目工藤會・野村悟総裁が獄中から引退。四代目時代から続いた野村体制に幕を下ろしたのだった。
その幕引きの決断を下したのが、五代目工藤會・田上不美夫会長だと言われている。
野村元総裁は、2014年9月11日に殺人容疑で逮捕・起訴され、殺人罪・組織犯罪処罰法違反・銃刀法違反の罪などに問われた裁判で、全国初となる指定暴力団トップの死刑判決が福岡地裁で言い渡された。
その後の控訴審で無期懲役となり、現在、上告中の身分である。 野村元総裁から五代目工藤會会長を譲り受けた田上会長も同じ容疑で逮捕・起訴され、一審、二審とも無期懲役の判決を受け、野村元総裁同様に現在、上告中である。
四代目工藤會から五代目工藤會に代替わりしても、その覇権は名誉職となる野村元総裁が握り続けていた。 その権力が名実共に、田上会長に移行することになったのは、2人が一審、二審の判決を言い渡され、最高裁へと上告してからのことであった。
その背景には、さまざまな憶測が囁かれたが、一言で言えば、工藤會と、社会に残された工藤會の組員の将来を考えての、野村体制からの脱却であったと言えるのではないだろうか。
それを拘置所内での面会のやりとりから確認がとれたからこそ、当局も五代目工藤會の代表者を野村元総裁から田上会長に変更し、官報に公示したと言える。
もしも野村元総裁の引退が偽装工作ならば、当局も工藤會の代表者を野村元総裁のまま変更させることはなかっただろう。
田上会長は長年にわたり、野村元総裁の腹心として忠誠を誓い続けてきた。その忠誠心は獄中に繋がれても変わることがなかった。
一審の野村元総裁の死刑判決を覆すため、自らも一審で無期懲役を言い渡されているにも関わらず、控訴審では一部を認める発言をしてみせたのだ。 田上会長にとり、野村元総裁は、絶対的な存在であったはずだ。
しかし田上会長は、決断を下してみせたのだろう。それは冒頭でも記したように、工藤會の組員と工藤會の将来のことを考えてのものだったと言えるのではないか。
そして、これまで田上会長自身が述べてきたと言われるように、然るべき人物に工藤會の跡目を継承させ、工藤會の存続を託す決断を示したのではないだろうか。
10月31日、工藤會が加盟する九州四社会から、道仁会、太州会、熊本會、それに広島県内に本拠地を置く六代目共政会が出席する中、太州会・最高幹部・田村正勝本部長が創設した田村組で、六代目工藤會の継承式が執り行われたのだった。